過去への和解?と現状。
どうも、お元気様です。〔今回は長いです〕
気になっていた案件〔こどもの夢ハウスおおつちへ〕がやっと実行されたのですが、その途中の導線を探ると繋がる繋がる。
まずは、源義経の平泉と宮沢賢治の花巻〔生誕120周年〕。
工程はハードでしたが、有意義な訪問でした。〔往復共々夜行バスの一人旅〕
とりあえずは、東京駅で腹ごしらえで、ソラノイロさんのヴィーガンのべジそば。
体に良さそうな、優しい味でした。〔当店の野菜カレーも負けてないかも〕
さて、朝5時に平泉に着き、世界遺産を散策。
まずは、弁慶が倒れた場所から。〔ちょっと重いが、弁慶の仁王立ちの場所〕
当たり前のごとく、お墓にお参り。
次は、本題の源義経が天命を終えた場所にて。
塚もあり、しっかりと和解?しました。〔牛若丸のことは絵本で知っていましたが、ココに来ると感無量〕
続いて中尊寺へ。〔いろいろ回ったので写真で流します〕
途中太陽が上がり、平泉の町並みと畑が一望でき、住み易そうでした。
中尊寺へ。
ココに来れたことを感謝して、次へ。
金色堂は時間外なので入れず。〔6時前だから当然〕
ココも同様です。
気温も5℃位の中、5キロは歩いただろうか。〔こういう所を回るとき、天気はいいが必ず試練あり〕
ココから電車とバスで移動して宮沢賢治記念館。〔ココも急な坂道を登る〕
なぜかこういうところに参上する時は、記念日が多い。
こういうモニュメントいいですね。
続いて、釜石にレンタカーで入り大槌へ。
ぱっと、見た目は復興は進んでいるようですが、現地はまだまだで、トラックの行き来がすごかったです。〔地元の人によれば、相当整備は進んだほうとか〕
こういう現場ばかりを目の辺りにして、車で高台の道路〔津波をかぶったところ〕を通り、映像で丘から見えた震災の状況を思い出しました。がんばれ。
今回の旅のメインである『こどもの夢ハウスおおつち』にて。
ココの創設者の方は元看護婦で、納棺師に変更して震災では400人以上を納棺された女性で、ぜひ会ってみたかったのと、ケアハウスがどんな感じなのか知りたくて。
しかし、不在で館長〔まだ20代〕と話をし、ボランティアと子ども達の理想的な共同作業〔たぶん基地みたいなもの作る〕は、昔の子どものときの姿を思い出しました。〔みんな大賑わい〕
コレだけでもずいぶん理解できて、理想的なケアハウスです。〔今まで、いろんな養護施設や子どものケアハウス、フリースクールを見てきましたが〕
釜石などで知り合った人はたいてい1組以上の親戚が流されたり、家が流されたりしているので、言葉は選んでしゃべらないといけないと感じました。
池袋駅に行くバスが来る前に、釜石ラーメン。
翌日、池袋から薬林寺へ。
ここも来たかった場所で、前回の大戦での工藤艦長の働きを知って、墓参りに。
工藤艦長は、海戦でイギリスの戦艦を撃沈し、危険を顧みずイギリス兵422名を救助したのは有名です。こういう武士道をしっかり持った人がいたことで、今の日本人の評価があります。
※戦争が終わっても、このことを身近の人には一言も言わなかったのが男気ですね。
近くにあった『田中邸』。気になって写真を。
萩の田中とは、関係はありません。
もう一つ、いきたかったのが東大農学部前の、ハチ公と上野英三郎教授の銅像。
やっと会えたね感がイイ。
某専門店〔個人でパン関係〕での朝食。
途中にあった、面白い小屋。
ブルックリンスタイルの進化版かも。
フランスから冷凍の種生地を空輸している、パン・ドウ・デミさん。
ブルスケッタにするパンがフランスで有名で、今回はフランスからの粉が滞っていて、
作れなかったとか。〔店員さんといろいろ話しをして〕
これは、当店のONE・ON・ONEの原型かも。
銀座はチョウシ屋さんのドッグパンのハムカツサンド。
歴史を感じる挟みパンの元祖ともいえますね。〔ソースもオリジナルで販売しており、老舗には勝てないかも〕
最後は、今回の芸風。〔粉モンか〕
徳島の豆天玉焼き。特徴は甘い金時豆と小エビのてんぷらが特長とか。
通常は小エビのから揚げが乗るが、同じなのはイヤなのでカニにて。〔豆は忘れました〕
こんな感じで、おいしく頂きました。
旅の疲れも歳を感じますが、12月には更なる過去に繋がりそう。
今回もここら辺で。
ではでは。
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