その後は、総集編で。
どうも、お元気さまです。
さて、念願の県外への就職で大阪へ。
配属はベットタウンの香里園という場所で、職場は
食品二課という牛乳、豆腐などの日配品でそして、パンです。
最初の希望は紳士衣料だったのですが、食品になりました。
この時、ダイエーは一兆吉兆もう一兆だったと思いますが
流通ではトップでした。 たしかにお客さんの入りはハンパじゃなく
毎日が大晦日のスーパーという感じで、さすが都会は違うねでした。
でも、なんかすっきりしないんですよね。
寮生活も楽しかったし、女性の友達も結構いたし、、、結婚を考えた娘もいましたが。
、、、結婚してたら、尻に引かれて現在は大阪のおばちゃん状態かも。 笑、いや失礼。
寮から見る、風景が360度、建物の地平線で緑が少なく、空気が乾燥して見えるんですよね。
うーん、何か違う。京都に行っても六甲に行っても。
今は別に遊びに行ってもなんとも思わないですが、この当時の純粋ま少年には
肌が合わなかったのと、この仕事を一生続ける自信がなかったこと。
ほんと、飽き性なんですよね。この時、親に製菓学校に行きたいと申し出たのですが
石の上にも3年といわれ、3年いました。
その時、嫁と大阪で1年ニアミスがありまして、あってませんが、、、会ってたら結婚は
してないと思います。 笑
もう一人、嫁と同じ調理師学校で運命の人ともニアミスです。
会わなくて良かった。知り合ってたら現職ではないかも、、笑 男です。
そうそう、入社後研修が一週間あってその時驚いたのは、ヤンキーが多いこと。僕もですが。
よく、こいつら受かったなーと思うほど。
一人、一人のこれからの目標をでかい声でスピーチ。その時大阪の新入社員が
自分は、シャコタンで銀ラメの車で爆音をたてながら、走ることです。と、叫んだ。
即刻、教官から帰れ、と。 新入社員、オー辞めますよ。流通業界はこんなもんかと、その当時は。
挙句の果てに、解散して友人と帰る途中、やれガンたれたや、とか数人言い寄ってきて
ナンなんだ、お前らは。うざいんで駐車場へ。
相手が、俺はどこの族のメンバーで準講もやって、、、、多かったなー大阪の奴。
準講とは、やくざの準構成員のことで通称大阪ではヤーコーって言ってましたね。
話をもどして、タイマンということで勇次がイッパツでノックアウト。
後日、お礼参りが来ましたが返り討ち。 笑
でも、その頃の自分たちって、それから友達なっちゃうパターンが多いんですよね。
おまえ、やるなーとか 笑
今、非常になつかしく思い出しながら書いてます。
しかし、勇次、、、元気にしてるっかなー。僕が退職して東京に行って、勇次も退職して
東京へ。彼は俳優希望でした、もちろん悪役でしょっ、と。笑
僕は、東京への移動はパッソルで移動しました。その当時、ヤンキーご用達の
ファミリーバイクで。箱根の峠をバンクのスタンドをカリカリ言わせながら
攻めてました。失うもの何もなし、という感じでしたが東京での希望は
膨らむ一方でした。
ではでは。
なかなか終わらないですね。
トラックバック URL :
コメント (0)