東から西へ。
どうも、お元気様です。
今年の混沌とした世界事情と国内の政情の中で、先週鹿児島へ参りました。
その街のフインキは、そこに住んでいる方が醸しだしますが、鹿児島も良かったです。〔街全体が綺麗でやさしさを感じました〕
空気も緩やかに流れ、セコセコしている自分が恥ずかしいかも。〔背筋がシャンとします〕
今回は、西郷どんの墓参りと維新時の薩摩隼人の覚悟を感じに参った次第です。
歴史を見れば、大抵同じ事を繰り返す人間ですが、その直面でどうやって後世に伝えるかが重要ですね。
それが、先人の遺産であり覚悟でしょう。
まずは、名勝の仙巌園。
島津光久が別邸として造った、広大な庭園です。
母屋です。
次の桜島が見える場所から、斉彬も時代を見据えていろいろと構築したのでしょうか、篤姫も。
※相変わらず、桜島はもくもくと噴煙が。
木戸孝允と勝海舟が会談した場所。
ここから見える山の岸壁に、文字が描かれています。
話は変わり、世界一大きい桜島大根の花。
薩摩藩鶴丸城跡で、城の石垣と桜が合います。
近くにある照国神社。
名君の島津斉彬を祭る神社で、7月に行われる六月灯は県下最大規模とか。
島津家を語るなら、この人もかかせません。
篤姫さんの銅像。
と、なればこの人で小松帯刀さんも。
維新ふるさと舘で、篤姫の大奥を再現した風景。
同じく薩英戦争で使用した大砲。
この近くには、大久保利通さんの生い立ちの地の碑などがあります。
東郷平八郎の誕生地も近くに。
そして、東郷元帥の銅像。
日露戦争では、福岡市志賀島の先端からバルチック艦隊を確認し勝利へと導いています。
東郷元帥のお墓。
ここから、西郷どんで西郷隆盛さんの誕生地の碑
西郷隆盛さんの銅像。
西郷洞窟。
西南戦争で終焉を遂げるまでいた場所。
西郷隆盛終焉の場所の碑
最後が西郷隆盛さんのお墓です。
この場所に『命もいらぬ、名もいらぬ』と表記してあり、この覚悟が薩摩隼人の現在の根底にあるのかも。
命は大切ですが、時代を動かし継承する上でそれ以上の大切なものがあるという意味か。〔自己解釈〕
去年9月に参った、五稜郭の土方歳三さんの像。
新撰組の規律に厳しく、鬼の土方とまで言われ、自分に対しても『義』を貫く鬼だった。
両者ともこの国を想う気持ちは一緒で、『信』と『義』を貫いたのは誠です。
戦争は二度とおこしてはならないですが、繰り返すのが人間の悲しいところ。
歴史を知る以上に、この確固たる覚悟の人生を粛々と送ることが必要かも。〔ならぬものはならぬ精神〕
今回は、パン情報ないですがここらへんで。
ではでは。
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