約19年ぶりの古巣。〔前回は、タイトルを忘れてました〕
どうも、お元気様です。
今回、正式なレストラン利用で19年ぶりのヒルトン福岡へ。〔旧シーホークホテル&リゾートです〕
結婚式などに呼ばれた事はあっても、レストランの個人的利用は久しぶり。
4階のブッフェレストランのアトリウム〔寂しくオウムもいない〕はなく、よく考えられたレイアウトに。〔正直、いろんな意味で期待は小だったが〕
ショップではバナナブレッドが健在で、最近ホテル広報から発案した経緯を聞かれたことを思い出しました。〔もちろん九州初ですが、当店ではバナナマフィンで販売で。メインは日航時代のバナナケーキです。〕
このホテルで生み出したものは数知れず〔いろいろと海外のシェフが来るのでアレンジで〕で、今も同様のルセットで製作しているものも多い。〔中華部門に回してたマーラーカオなど〕
僕がオープン当初からシェフでやっていたときは、それはそれは大変な製造量で一日でカットパンも入れて4000ピースは出荷。〔もちろん全ホテルメード〕
クロワッサン〔今も当店で販売しているが〕が1日平均600個は生産していたと思う。〔卵塗りが大変なので、溶き卵を電動ガンスプレーに入れて噴射〕
レストランだけではなく、当時の婚礼も年間で福岡ではトップクラスの件数と宴会関係も1000名以上ディナーなどのパンも担当とそれはすごいものでした。〔宴会用のピエスモンテやロービーでの巨大モニュメントなど日航時代同様に作成〕
それでも、スタッフ〔少人数〕を定時近くであげ、それでも時間が有る場合は、キッチンへのヘルプに行ってもらいました。〔僕も行きましたが、あのころがホテルで一番最強のセクションだった〕
そこから僕の料理に対する気持ちが芽生えたのかも。〔最初は作れば、罰ゲームの連続だが〕
ホテル開業前のドームでのラジオ体操や中内功さんとのスコーンやスフレのやり取りなど、古巣に戻った〔元ダイエーマンなので〕面白い出会いもありました。〔人生はこれだから面白い〕
他の面で面白いのは、町場のパン屋さんとは違いヨーロッパスタイルのパンの提供とホテルのベーカリーとしてコック仲間やパテシェ仲間のブレーンが多く、必要な情報が取り出せること。〔現状多忙で、製品を出せれてないが〕
このことから、ブレカレ〔ブレッド&カレー〕やスーブレ〔スープ&ブレッド〕、ONE・ON・ONEなどの芸風が誕生したのですね。〔イベントしか出せれてないが、人生は永いので〕
今現在とその当時と比べるとどちらの自分が自分らしいかというと、もちろん現在。その違いは神戸の震災時に行かなくっちゃという心構えがなかったことが第一。〔日航時代からの、役職に甘んじていたのですね〕
当たり前を当たり前に、ブレずに仕事や芸風を生み出す姿勢が自分に問いかけるのです。〔農家などの方もそうですが、このことが己の修行で、己を成長させたのですね、まだまだですが〕
と、いうことでヒルトン福岡のディナーブッフェ。〔個人的に福岡では、ハイアット・リージェンシー福岡のブッフェが好きですが新宿のパークハイアットはもっと凄かった。20年前くらい〕
ワールドブッフェの料理関係とブレッド
ヒルトンのチョコレートケーキもあるデザート。
では、今週の芸風で、中華カレー。
豚の角煮と紹興酒がポイントで野菜は衣を薄く着けて揚げています。〔鶏肉もささ身に衣を着けて揚げ、正しく中華〕
東京では、白いシーリーズ料理が流行っていて、これは白いカレーライス。
白いのは、自家製チーズソースでたぶん流行で終わるかも。
※流行ものはこのときだけの芸風。
今回もここら辺で。
ではでは。
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