2010/2/8 月曜日

上田塾と取り子取り嫁

Filed under: オーナー日記 — Tanaka @ 6:31:10

どうも、お元気様です。

昨日は、場所が西部ガスキッチンでのバレンタインメニューの合同講習会。

今回で2度目の場所使用ですが、最近の少人数で当厨房での講習会に慣れてしまったせいと時間制限もあり、慌しい中での講座となりました。〔メニューを入れすぎたかな〕

相当、焼成関係は調整したつもりですが、タルト・オ・ショコラに若干火が入りすぎた感あり。

これは、半熟焼きで卵に火が入る程度でよく、火が入りすぎと微妙に食感と口溶けが変わります。〔個人の嗜好もある〕

いろいろと原因をお店に帰って考えると、まず一点はこちらで使っているLPガスと都市ガスの熱量の違いが原因かな、と。

最大の原因は、不注意ですが後日焼成温度と時間の変更をお知らせする予定です。

ところで、今年の6月よりセミブーランジェ養成の『上田塾』を開講します。〔よくそんな時間があるよな〕

これは、当店の製法をミキサーなどを使い製造生産性をあげる講座で波牟道とはまったく違うパン教室です。

限定4名で、応募多数の場合は抽選にて。〔アミダくじにしようかな〕

今回の開講は、波牟道以外の方のパンの講座の要望が多いのと、個人的な見解から。

前回のブログでも書いていますが、主にストレスによる疾病の発症する方が多くなり、お若くして他界する方も見聞きし、自分〔大丈夫ですが〕も突然の脳溢血で半身マヒになった場合、教えることが出来なく可能性もあるので、一部の方にお教えしようと。

波牟道に関しては、動画で収録しているので問題はないのですが、お店の製法に関しては前いたスタッフしか知らないので。

と、いう事で『上田塾』の開講となります。

では、なぜ田中が上田なのか。これは、僕が21歳の時に叔母〔田中姓〕のところへ養子に行ったからで、実母とは戸籍上いとこになり、不思議な状態になります。〔この養子に、外から嫁を迎えることを『取り子取り嫁』と言います〕

叔母は近所でお茶とお花の先生をやっており、僕が小さい頃はお茶を立てたり頂いたりと思い出はいっぱいです。

最近になり理解したのですが、もともと上田〔萩の当家は〕昔から長州にいたわけではなく、徳川幕府の始まったときに広島藩の広島氏に要請されて茶武士として広島に移り、それが江戸時代中に萩藩にも分かれて行ったようです。

これが判って、姉と娘の広島の同じ大学のご縁と僕のお茶と陶芸〔萩焼と高取焼き〕のご縁がわかった次第です。

まぁー、上田家もいろいろとあったみたいですが、そろそろ表に出していこうかなと思っています。

回りからもそろそろ表に出ればと言われてますが、『上田塾』に限らず、いろんな製法や作品作りに関しても現在調整中で、今年中にはお披露目できそうなので、ご期待を。

過去において、表に出すぎて『ブレてた』時期があったのでここは慎重に関係各位と調整しながら行います。

回りにも表に出すぎて、その後どうなったかわからない方も結構いらっしゃるので、そうならないよう注意が必要です。

機が熟すまでいろんな方とのコラボも始まるし、ストレスを溜めないよう今年は出会いの年とします。〔毎年のような〕

ではでは。

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